【死の宣告から半年での生還」
「成人T細胞白血病リンパ腫です。現代医学ではなお使用がない病気です」
そう医師から宣告されたとき、私は自分の耳を疑いました。
すぐにセカンドオピニオンでほかの病院に行きましたが、そこでも診断は同じ。発症すると平均生存期間は1年未満と言われました。
絶望、悔しさ、恐怖。その気持ちは言い表せません。唯一の救いは、診断してくれた医師の「骨髄移植をすれば助かります。一緒に奇跡を起こしましょう」の言葉でした。しかし病状はは悪化。入院までの自宅待機の間に、胸にあるリンパ筋腫が肥大し、ガンが肺を圧迫し、息もできず、水も飲めない状態に陥り、私は緊急入院したのです。
そのときの診断は、「2日後には、腫瘍が肺と気管を圧迫して死ぬでしょう」というものでした。
あと2日の命と言われた私のまくら元で、夫は「ホ・オポノポノ」の本を、ひたすら読んでくれました。体調が悪くなりだしたころ、知人がたまたま勧めてくれた本でした。
夫は「なにもしてやれないが、いてもたってもいられない」という思いだったのでしょう。
耐えがたい苦痛の中、私は「アイスブルー、アイスブルー」(※)と心の中でつぶやき続けました。
すると、医師の予想に反し、私は2日を生き延び、抗ガン剤治療を受けれることに。そして奇跡は起こり、1回目の抗ガン剤投与で、私のガンは小さくなったのです。1カ月ほどで胃壁はピンクのきれいな状態に戻り、医師たちは驚愕するばかりでした。
抗ガン剤が劇的な効果を上げたため、3カ月後には骨髄移植を受けられることに。苦しい治療、危機的な状況が続きましたが、そのすべてを乗り越え、私は生還することができたのです。死の宣告から、8カ月後のことでした。
ホ・オポノポノしかできることがなかったこの間、私と夫はホ・オポノポノをし続けました。ただ、病気が治るのを期待していたわけではありません。死にかけていた私と、それを見ているしかない夫にとってホ・オポノポノしかできることがなかった。だから徹底したのです。ホ・オポノポノは、決して病気を治す方法ではありません。ただ、もしホ・オポノポノをしていなっかたら、これほど治療がスムーズに進むことはなかったと思います。現在体調はすっかり元どおりです。
最後に、私たちが実践したクリーニングツールの1つ、「ブルーソーラーウォーター」をご紹介します。病気で苦しんでいるかた、看護されているかたの参考になれば、これほど幸せなことはありません。
50代 女性
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